「なはをんな一代記」金城芳子

「なはをんな一代記」書影 自伝
おすすめ度:★★★★★ 入手容易さ:★☆☆☆☆ 読破容易さ:★★☆☆☆ 島ぁ度:★★★★☆

[1977年9月初版 沖縄タイムス社(タイムス選書5)ISBNなし]

「琉球」時代からあった明治末の那覇の遊郭「辻」に生まれ、夫となった金城朝永や伊波普猷ら沖縄学の巨人らとの交流を通じ、昭和を生きた沖縄女性の自伝です。

戦前沖縄の庶民(といっても都会のけっこう稼ぎのある母子家庭)の生活がいきいきと描かれていて、臨場感をもって伝わってくる本です。木村伊兵衛が戦前に撮影した沖縄の写真、そして近年、与那原恵さんのノンフィクションのおかげで詳細が世に知らされた鎌倉芳太郎の事跡や、朝日新聞大阪本社で見つかった戦前の沖縄の写真にも増して、言葉の力で、当時の日々が当時の感情とともに、読む者をタイムマシンに乗っけて往時の沖縄にいざなってくれます。

金城芳子先生は、那覇市辻にあった商店の母子家庭で生まれ育ちました。「辻」といえば遊郭ですが、先生はそこにあった商店の娘として生まれ、辻の遊女たちの暮らしを見聞きしながら育ちました。「辻」については民俗的な研究もあるようですが、自身の生活を通じ同性の眼から語られる「辻」の様子は、今に続く「社交街」の問題とも重なり、それを知る者には複雑な思いをもたらします。

また、金城先生は、教育に力を入れてくれた母のおかげで当時はエリートの子しかいなかった幼稚園に通い、女学校まで出た才媛でした。大正12年(1922)に上京し、幼馴染であった沖縄の言語・民俗学の祖、金城朝永と結婚。以降は東京暮らしの沖縄人となります。折口信夫や金田一春彦の名も出てくるような知識人一家の暮らしですが、当時在京の沖縄ゆかりの人々のほかにも、そうでない市井の人々、職業人としての様々な日常のエピソード、そして東京にいて沖縄を懐かしむような生活行事や、後継ぎなどをめぐる「家」の問題なども語られていて、単純に「複雑で面白い」読み物となっています。

上京後、金城先生は東京市(昭和12年当時)の保母となります。以来、昭和43年(1968年)まで、東京市(都)の福祉行政に携わります。本誌の後半は、戦中戦後の(東京の)児童福祉をめぐる物語が多くなってきます。保育士(当時は保母)としての現場の眼もうかがえます。そして本誌の刊行は先生が勇退されてから9年後のこと。自身の生き方を振り返った新聞連載を、単行本としてまとめたものです。

私とこの本の出会い。私が最初にこの本を目にしたのは十九か二十歳の頃だったでしょうか。当時私は受験生で、入試シーズンの数週間ほど、金城先生のご自宅に居候させていただいていた事があります。ご自宅は早稲田大学文学部の真裏、喜久井町にあり、私の父親が先生に直接手紙を書いてお願いしたおかげで泊めていただけることになったという縁があります。その際に、父親に見せてもらったのがこの本でした。とても印象に残りましたが、当時は忙しかったので「ざっと見」で、細部に至る記憶は残っていませんでした。あれから三十有余年。私は早稲田大学に入学することができ、楽しく充実した4年間の学部生活を経て社会人となりました。そしていくつかの職を経たのちに再び、六十代を前にして嘱託職員として母校早稲田に舞い戻ってきました。ランチの食堂を探しに、たまたま喜久井町側に足を延ばした時に先生の事を思い出し、自宅跡の前まで行ったりネットでその後の事を調べたりで、本書を手にすることになったわけです。

再びこの本を手にし、新たに共感したところでは、同じ首都圏に暮らす県人「一世」としての先達であることでしょう。私は今でもバリバリ県人のつもりですが、経済的にも社会人としての人脈も「ヤマトンチュー」といえます。そして東京で生まれ千葉県で育っている私の子供は、やっぱり「二世」です。そんなところにも、この本に近しさを憶える理由になっているように思います。

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